1年間の浪人生活は人生最悪の体験だと思っていた。
ただ、「今はあの時よりはましだ」と考えられる自分がいる。
高校でラグビーに明け暮れ、勉強というか受験から逃げていたこともあり、1年間浪人した。
親元を離れて、予備校の寮に入った。
初めての一人暮らし。全く知らない人の中に初めて放り込まれて、はじめはどうしていいかわからなかった。
そして、働きもせず、この先勉強し続けても志望校に入れるかもわからず、凄まじく不安定な精神状態と1年間向き合った。
はじめは勉強に集中し、10時間くらい勉強した。
すぐに、結果が出始めた。
今思えば、現役生がまだ勉強していない時期のせいなのだが、急激に成績が伸びて勘違いし始めた。
俺はやればできる。
そのうち、満員電車で都内の予備校に行くのが嫌になってきた。
自分で勉強した方ができるようになるし、通学時間が無駄に思えた。
予備校の中で仲間を作って群れているような雰囲気も嫌だった。
人に会いたくもなかった。
予備校の寮の中で気の合う仲間を見つけて、やっていく方向に自然となっていった。
夏までは成績が上がり続けて、現役の時にはとても考えられなかった志望校の模試でも良い判定が出始めた。
勉強をしている間も、どうしても自分の存在意義を感じられなくて、一人悶々としていた。
真っ暗闇に放り込まれて、身動きもできないような不安に突然襲われて、眠れないこともあった。
予備校の寮の中でも、受験が近づいてくるとピリピリし始めた。
殴りあいのケンカをする人間もいた。
予備校の寮の大半が日本最高峰の国立大学を目指していた。
毎日、この先どうなるのかという不安は付き纏っていた。
結局受験の本番前には現役生に追い越され、志望校には入れなかった。
悔しさと、この生活をもうしなくて良いという安堵が入り混じっていた。
会社で後輩を見ていると、強烈な挫折の経験がないように見える。
極限まで追い込まれたことがないからか、どこか人ごと感が拭えない(ように見える)。
挫折によってどん底(その当時)まで、落ちてみると、まだまだいけるとか、あの頃よりマシという基準が自分の中にできていたのがわかる。
最悪の浪人生活も、自分の糧になっていたのだ。
48歳の今が、統計学的に人生のどん底であるならば、この経験もまた、自分の糧にできるのではないか。
それならば、もっと積極的にこの時期を過ごしてみよう。
そんなことを思った。