大学生の頃、一人旅をしていた。
タイのバンコクから近郊の町を2週間ほど歩いて、旅に慣れてから、カオサンロードで安い航空券を買い、インドのカルカッタに飛んだ。
タイの和やかな雰囲気と違い、空港から降りるといきなり牛が歩いている。
兵隊らしき人が銃をライフルを持っている。
カルカッタ市内の安宿を探して、病院のベッドがたくさん並ぶドミトリーに泊まった。
宿の名前は「サルべージョン・アーミー」(救世軍)だった。
朝から市内を散歩してみようと、歩き出した。
カルカッタで話されているベンガル語は喧嘩をしているのかと勘違いするほど勢いが良い。
顔を近づけて、殴り合うのではないかと思うほど言い合っていたかと思うと、男同士なぜか仲良く手をつないで歩き去ったりする。
「異世界に来たな」という実感と、「もっと見たい」という好奇心で、背中をおされるように歩き始めた。
宿の近くの一角に、一人の少年が物乞いをしている。
近づいて話を聞いてみると、兄が死んだという。
その兄は傍らのムシロに横たわっている。
やせ細って、体をくの字にしている。
インドの暑さを考えると、このまま放っておいたらどうなるのか。
少年は必死に手を出して、通りがかる人に「バクシーシ(施しを)」と声をかける。
どうやら施しをもらって葬式をしてやりたいということらしかった。
私はしばし、何もできずに立ち尽くした。
今まで大学にも行かずにバイトでためたお金だ。
簡単には渡せない。
だが、この少年とくの字に倒れている兄の姿を前に、外から盗られないように腰のポーチに隠してある財布に手が伸びかけた。
ふと、顔を上げて、路上を見ると向こうからは子供を抱えたお母さんが「バクシーシ(施しを)」と言いながら歩いてくる。
私と目が合うと素早く近寄ってきた。
少年とそのお母さんを見比べる。
「施しをするならどちらにもしてやらなければおかしいのではないか」。
自分の倫理観がそうささやいた。
私は、逃げるようにその場を立ち去った。
少年とその母の目がずっと私を追いかけてくるように感じた。
その日、カルカッタの街を歩き回ると、「バクシーシ(施しを)」の声はそこら中にあふれていた。
現地の人たちや欧米の旅行者たちを観察すると、施しをする人、無視して通り過ぎる人、対応は人それぞれだった。
私は、最初に出会った少年と兄と母親から逃げた後ろめたさから、誰にも施しをしないで、夕方宿にもどった。
あの少年のいた路地を、ふと見ると、今度は、くの字に倒れていた兄が「弟が死んだ」と私に声をかけてきた。
彼らは交代で死んでいた。
それ以来、施しをすることとか、寄付をすることについてずっと悩んでいる。
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