「逃げ上手の若君」(松井優征作のアニメ)を録画して見ている。
鎌倉幕府の滅亡期に北条家(得宗家)の生き残りである少年・時行が、足利尊氏に抗い逃げ延びながら鎌倉幕府の再興するストーリー。
歴史なのでネタバレではないと思うが、史実だと時行は20日間だけではあるが奪われた鎌倉を奪い返す。
ただそのあとは、やはり逃げ抗い、最後は鎌倉で処刑されてしまう。
アニメでどう描かれるのかは、漫画を読んでいないので不明だが、楽しみながら見ている。
このアニメのテーマというか、タイトルが「逃げ」である。
ひと昔というか、私が大学生のころに一部のマニアの間で大センセーションを起こした、そして、最近もリバイバル(今は一般化)で4部作が完結したエヴァンゲイオンの主人公の碇シンジ君は「逃げちゃだめだ」と言っていた。
地球規模の危機を背負わされ(しかも父親に)、逃げるなという状況に追い込まれるのは本当につらい。同アニメは、主人公(中学生)の心の葛藤がロボットの戦いを媒介して延々と描かれる。
テレビ版では主人公の心象風景の中で、結論が出たところで終わっていまい、ロボットアニメとしてのカタルシスとか整合性を求めている視聴者に不評だった。
庵野監督も、当時相当精神的にやられていた節もあって、もう一度ロボットアニメとしても構築し直して映画版を作った。
(ちなみに序破Q⚫︎の4部作の前に作られた、「シト新生」を大学生の頃に映画館で見て、あまりの救われなさにトラウマになりました)
テレビ版の心象風景だけ終わらせずに、20年たってもそのテーマを完結させた。
庵野監督も逃げていない。
何度も逃げかけたようだが(NHKの特集などを参照)。
「逃げ上手」はそれなりにヒットして、現に私のような年齢の男性まで視聴するアニメだ。
今どきの若者、子供(この表現がすでにオジさんくさい)にも受け入れられるのは、やはり「逃げちゃだめだ」よりも「逃げ上手」のほうなのだろうか。
「逃げ上手」か「逃げちゃだめだ」か。
「全部逃げたら、何もできない」というのは今までの経験から私も実感している。
ただ、若君のように、うまく逃げを使いながらやっていくことも必要。
「逃げ上手」にやっていき、一番大事なとこでは「逃げちゃだめだ」が正解か。
まあ、みんなそうしているような。
ただ、48歳の状況だと、ほとんど「逃げちゃだめだ」案件。
会社、夫婦、子育て、親、老後の準備。
すべて「逃げちゃだめだ」と考えたら、「逃げ上手」にできない案件たらけだとしたら、やっぱり人生全体からみると48歳はどん底の時期になるのか。
最近のアニメを見て、思った。
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