島崎藤村の「破戒」を聞き終わった。
心にズシリとくる内容だった。
今更説明するまでもないが、明治後期の小諸周辺を舞台に部落差別を扱った小説だ。
当初、島崎藤村は難解だとか、読みづらいという先入観を少し持っていたのだが、オーディブルで少しずつ聞いていったことで、思ったよりもすんなりと内容が入ってきた。
依然読んだドストエフスキーの「罪と罰」を思い出しながら、じっくり聞いた。
「罪と罰」を読んだときには。精神的に追い詰められ、自分も殺人を犯してしまったという夢をみて、うなされたこともあった。
今回はそこまではいまかなったが、主人公の瀬川丑松や同じように被差別部落出身の猪子連太郎の生きざまを思った。
★★★
30年近く前に、一人旅でインドを訪れた時に不可触民(アンタッチャブル)の子供と出会い、兄弟が交代で死んだふりをして物乞いしていたことを以前に書いた。
今の日本にも、インドほど強烈ではないにしても、部落差別はあるようだ。
今思い出すと、私も小学生の低学年の一時期いじめを受けたことがあった。
もうすっかり忘れていたが、書道で賞をもらった帰り道で、賞品についていた賞のタグのような札をトウモロコシ畑に投げられたことがあった。
その場面だけをいまだに覚えている。
前後のことはもうすっかり忘れてしまった。
私は、その反動で、クラス替えになった4年生からは、逆にそういういじめっ子キャラに対して高圧的な態度で対応することで自分を守った(気がする)。
★★★
歴史の本を読むことが好きなので、できるだけ人間を客観的にみる癖がついている。
いまだに戦争はなくならないし、毎日人が殺されている。
負の連鎖はなくならない。
これだけひどい報道がされている傍らで、人間は沖縄にハブを減らす目的で自分たちが放ったマングースを今更駆逐したと言ったり(勝手な理屈)、どこかで育てたライチョウを本来の生息地ではない中央アルプスに放って、外敵であるテンを駆除したなどと言っている(テンにとっては人間が外敵だ)。
近所では野良猫に餌をやり続けているおばさんがいる。
人間は目先のことにどうしてもとらわれてしまうようだ。
いつのまにか自分の価値観が正義だと感じ、突き進んでしまう。
★★★
破壊に登場する校長先生も、自分の立場を守るために丑松を排除しようとしただけなのかもしれない。
「破戒」は人間の本質を描いている。
人間は同じ過ちを繰り返し続けている。
人間が生まれてから、ずっとそれは繰り返されているのかもしれない。
父から必ず守るように言われていた戒めを丑松は破ってしまった。
そこで物語は終わる。
そこから先はのストーリーは読者に託されている。
丑松は24歳の設定だ。
私の年齢の半分しか生きていないのだ。
48歳のどん底といわれるこの時期に、この物語を読んだことには意味があると思う。
丑松や連太郎の生きざまを心に抱えながら、生きていこうと思う。
コメント